死と向き合う
現実逃避をしてゲームに没頭するとか。
よく使いますよね。
現実逃避したーい。なんて言いはしても
実際どれほど逃避できているのか。
だけどこれも一種の現実逃避だと思うのです。
つい先日会社の人が亡くなり、
それはそれは悲しくて
別れを告げる時には涙も止まらず
その人がいた場所を見ても何をしても
涙も悲しみも溢れるのです。
その瞬間は そう。
もういないことを理解して 悲しい。
だけどなんだか 同じ世界の
どこかでまだ生きている気になるのです。
それが今なのです。
あれ、そっか、どこかに生きているのだろう。
あぁ、これが現実逃避か。
ハッとすると悲しみがまた溢れ出す。
だからまたそっとフタをする。
いつもそう。
私の大好きだった家族だった
(今でも家族ですが)愛犬のぽんちゃんも。
ハッとすると涙が止まらない。
だけどきっとどこかで生きている。
と思い返す。
言葉では理解したフリをするけど
どこかで生きていると思うのです。
これが私の最大の現実逃避なのです。
あーしておけば良かった。
もっとこうするべきだった。
なんて思い返したら止まらないのですから
どこかで生きている。
小さい子供が死をまだ理解してないとか、
そんなことは幾つになっても
経験したことのない話を理解するなんて
到底誰もが不可能なことですよね。
私は心の底から
死ぬことが怖いと思いました。
その先の世界を何も信じていませんが
おじいちゃんも、おばあちゃんも
ぽんちゃんも、ややも、会社の人も経験をした
その瞬間がわたしには永遠に来ないで欲しい。
なんて急に怖くなったりして
だけどもやっぱり
死と向き合うことは出来ません。
私は到底死を理解できず
理解しないままいつか死ぬのでしょうが
向き合うこともせず
これからもずっと現実逃避をし続けるでしょうね。
なんてことを思ったのでした。
それではまた次回。